2012年4月20日金曜日

ままごと あゆみ

イムズホール。なにもない舞台。

席に着き、開演数分前、ふと顔をあげると
リネンのワンピースと赤い靴の女子たち8人。
彼女たちがひとりのあゆみとあゆみのまわりのひとを演じる。

16本の足のはじめのいっぽからさいごのいっぽまで。
台詞は言葉になり音になりリズムになっていく。

なんでもない、ふつうの、女の子の一生。
だからそこには飛びぬけたエピソードもドラマもない。
だけどそこには自分も感じた記憶のある喜びやどきどきや悲しみがあふれてる。

いつのまにか泣いてました。
あまりにもせつなくて愛おしくて。


女の子はやがておばあちゃんになり、
(たぶん)彼女の中でやりなおしたかったふたつの記憶をやりなおす。
どちらも、伝えられなくて後悔していた、伝えたかった言葉を伝える。

伝えるけど、あゆみのあゆみは変わらない。
来た道も、行く道も変わらない。
変わったのは伝えたというきもち。

そしてさいごのいっぽを迎える。


ままごとは去年の「わが星」でも泣いた。
ここちよいリズムに包まれた
日常のことばに潜む愛おしさと切なさ。


いま一番すきな劇団かもしれない。






2012年4月17日火曜日

サンプル 自慢の息子

北九州芸術劇場。


先日の映画、ものすごくうるさくて・・・でも感じたこと。
どこまでが異常でどこまでが正常なのか。

登場人物はすべて異常に見える。
でも見方を変えれば純粋そのもの。
舞台の中に境界線がないように、
正常と異常の境界線も曖昧。
それぞれに純粋な愛情だけど、
社会や人との関係性の中で
愛情は異常になっていく。

ただ彼らの愛情は
すべてあまりにも一方的。
キャッチボールではなく
感情を投げつけあっているように見えた。

それだといつか相手を傷つけるし
跳ね返って自分も傷つくのかな。

こわくてボールを投げられないよりましなのかな。
どちらかというと自分は怖くて投げられないタイプ。

思い切っていろいろ投げてみたほうが楽なのかもな。
たとえ傷ついたとしても。

そんなことまで考えてみたり。

布を使った演出はおもしろかった。
ひっかかったり、もそもそなったりしてるとこもあって。
役者さん大変だわね。

しかしこの戯曲はどう書いてあるのか気になる。
あのシーンやあのシーンをどう文章で現しているのかなと。
読んでみたいが戯曲って高い。
機会があったら読もう。